東京高等裁判所 平成5年(行ケ)191号 判決 1996年6月27日
オランダ国ゲリーン(番地なし)
原告
スタミカーボン ビー ベー
同代表者
ウエー・セー・エル・ホーヘストラテン
同訴訟代理人弁理士
川口義雄
同
中村至
同
船山武
東京都千代田区霞が関3丁目2番5号
被告
三井石油化学工業株式会社
同代表者代表取締役
幸田重教
同訴訟代理人弁理士
小田島平吉
同
深浦秀夫
同
江角洋治
同訴訟代理人弁護士
花岡巖
同
新保克芳
主文
特許庁が平成3年審判第11479号事件について平成5年9月10日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
主文と同旨の判決
二 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、発明の名称を「ポリエチレン延伸フィラメント」とする特許第1601171号〔昭和55年2月7日に出願(優先権主張 1979年2月8日 オランダ国)した特願昭55-14245号を原出願として、昭和59年8月10日に特許法44条1項の規定による特許出願として出願されたものであり、平成元年2月15日に出願公告(特公昭64-8732号)され、平成3年1月31日に設定登録されたものである。以下、上記特許に係る発明を「本件発明」という。〕の特許権者であるが、被告は、平成3年6月6日本件特許の無効審判を請求した。特許庁は、上記請求を平成3年審判第11479号事件として審理した結果、平成5年9月10日、「特許第1601171号発明の特許を無効とする。」との審決をなし(出訴期間として90日を附加)、その謄本は同月29日原告に送達された。
二 本件発明の要旨
濃度1~30重量%の、重量平均分子量60万以上のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸することにより得られうる少なくとも1.32GPaの引張強度と、少なくとも23.9GPaの弾性率を有するポリエチレン延伸フィラメント。
三 審決の理由
別添審決書写しのとおりであって(但し、審決書写しの11頁5行の「約8.2cm/min」は「約8.2cm3/min」の誤記であり、2頁19行、21頁17行、24頁9行から10行にかけて、29頁5行の各「2.39GPa」はいずれも「23.9GPa」の誤記である。)、本件訴訟の争点に係る審決の理由の要旨は、甲第4号証〔西独特許第1024201号明細書(昭和38年4月26日特許庁資料館受入れ)。本訴における甲第3号証〕には、「濃度約13重量%、分子量150,000のポリエチレンの溶液を紡糸して、溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸するポリエチレン延伸フィラメントの製造方法、およびその製造方法によって得られた強度125RKmのポリエチレン延伸フィラメント」が実質的に開示されていると認められるから、本件発明と甲第4号証の発明は、「濃度1~30重量%の範囲内のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸することにより得られるポリエチレン延伸フィラメント」である点で一致し、甲第4号証には、(イ)重量平均分子量60万以上の原料ポリエチレンを用いる点、(ロ)引張強度が少なくとも1.32GPa、弾性率が少なくとも23.9GPaの物性を有するポリエチレン延伸フィラメントである点の明示がないことにおいて本件発明と相違するものと認められるが、上記相違点は甲第2号証(英国特許第1100497号明細書、本訴における甲第4号証)及び甲第3号証(特開昭52-155221号公報、本訴における甲第5号証)により格別なものとはいえず、本件発明は、甲第4号証、甲第2号証及び甲第3号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとするのが相当であって、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない、というものである。
四 審決の理由に対する認否
審決の理由中、以下の部分は争い、その余は認める。
1 審決の理由〔3〕1(1)のうちの「実施例4では、『紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する。1:9の最終延伸後に得られたフィラメントは、3.8%の伸びにおいて125Rkmの強度を示した。個々のフィラメント繊度は1.8デニールである。』としており、実施例2のものの延伸比(約9倍)、得られたフィラメントの強度(70Rkm)、伸び(15%)、フィラメント繊度(約3デニール)、を各々考慮すると、実施例4では、実施例3の第1段延伸(水浴中での延伸)の2.4倍と最終延伸9倍との積(2.4×9)である合計21.6倍の延伸が行われているか、少なくとも、実施例2の約9倍よりはるかに高倍率の延伸(合計11倍を超える延伸)を行っていると解するのが相当である。この点は、甲第12号証に係る九州大学工学部応用物質化学科梶山千里教授の鑑定意見及び甲第13号証に係る東京工業大学工学部材料工学講座奥井徳昌教授の鑑定意見によって明白であり、また当分野の技術常識にも合致する。」(13頁19行ないし14頁17行)
2 同〔3〕1(1)のうちの「以上の点を考慮すると、甲第4号証には、『濃度約13重量%、分子量150,000のポリエチレンの溶液を紡糸して、溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸するポリエチレン延伸フィラメントの製造方法、およびその製造方法によって得られた強度125RKmのポリエチレン延伸フィラメント』が実質的に開示されていると認められる。」(15頁2行ないし11行)
3 同〔3〕2のうちの「両者は、『濃度1~30重量%の範囲内のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸することによって得られるポリエチレン延伸フィラメント』である点で一致する。」(21頁4行ないし10行)
4 同〔3〕3(4)のうちの「『濃度1~30重量%の、重量平均分子量60万以上のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸することにより少なくとも1.32GPaの引張強度と、少なくとも23.9GPaの弾性率を有するポリエチレン延伸フィラメント』を得ることは、技術常識(略)を考慮すれば、甲第4号証、甲第2号証、甲第3号証に各々記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとするのが相当であって、本件特許発明は、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものである。よって、請求人の主張した無効理由2の(3)は理由がある。」(24頁3行ないし19行)
5 同〔3〕4(1)(25頁1行ないし26頁17行)
6 同〔4〕のうちの「本件特許発明は特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものであり、この点で本件特許は特許法第123条第1項の規定により無効とすべきものである」(32頁5行ないし9行)
7 同〔5〕(32頁11行ないし13行)
五 審決を取り消すべき事由
審決は、甲第3号証(西独特許第1024201号明細書、審決における甲第4号証。以下、書証については本訴における書証番号により表示する。)の実施例4について、「実施例4では、実施例3の第1段延伸(水浴中での延伸)の2.4倍と最終延伸9倍との積(2.4×9)である合計21.6倍の延伸が行われているか、少なくとも、実施例2の約9倍よりはるかに高倍率の延伸(合計11倍を超える延伸)を行っていると解するのが相当である。この点は、甲第12号証(注 審決における書証番号)に係る九州大学工学部応用物質化学科梶山千里教授の鑑定意見及び甲第13号証に係る東京工業大学工学部材料工学講座奥井徳昌教授の鑑定意見によって明白であり、また当分野の技術常識にも合致する。」と誤って認定して、本件発明と甲第3号証記載の発明との一致点の認定を誤り、その結果、本件発明の進歩性の判断について誤ったものであるから、違法として取り消されるべきである。
1 審決は、甲第3号証の実施例4についての記載中の"Dieweitere Verarbeitung der Spinnlosung entspricht genaudem Beispiel 3."(紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する)をもって、第一段延伸比が2.4である旨の認定の根拠としている。しかしながら、ここで引用されたのは、紡糸溶液の引続いての操作であるから、実施例3の第2文、第3文、即ち「この紡糸溶液を前記実施例と同様に30穴の紡糸ノズルを介して20℃のプロパノール凝固液中に紡糸した。ノズル穴と凝固液との間には、長さ8cmの空間を設けた。」はともかく、紡出糸について述べた第4文「フィラメントは約21/2の凝固液を通過させ、・・・」以降に言及したとすることはできない。してみれば、審決が当然の前提であるかのように扱った、実施例3の第一段延伸比2.4を実施例4にそのまま適用すべきだとする根拠はない。
甲第3号証の実施例4の「1:9の最終延伸」というのは、第二段階の延伸終了後、元の長さにくらべて9倍という意味である。
2 甲第3号証に対応する米国特許第3048465号明細書(甲第6号証)には、実施例Ⅴについて「分子量150,000のボリエチレン粉末150gを1kgのホワイト・オイルに溶解し、15%の紡糸溶液を調整した。以後の紡糸フィラメントの処置工程は実施例Ⅳと全く同じである。得られたフィラメントは元の長さの(注 下線は原告の主張による)9倍の最終延伸を有し、伸び3.8%における強度は125Rkm(13.9g/デニール)であった。個々のフィラメントの繊度は1.8デニールであった。」(7欄20行ないし29行)と記載されている。甲第3号証の実施例4と甲第6号証の実施例Ⅴとを対比すると、「低圧法で得られた」とかの些細な点を別にして、両者の具体的操作条件等は実質上完全に一致している。してみれば、甲第3号証の実施例4においても甲第6号証の実施例Ⅴに明記されたと同様に、延伸倍率は元の長さを基準として記載されているとするのが相当である。そうでないとすると、両者で得られたフィラメントの繊度等が完全に一致する理由の説明がつかないからである。
3 一般に延伸比を大きくすると、細い繊維が得られる傾向があることは否定しない。しかし、それだからといって、「実施例4では、実施例3の第1段延伸(水浴中での延伸)の2.4倍と最終延伸9倍との積(2.4×9)である合計21.6倍の延伸が行われているか、少なくとも、実施例2の約9倍よりはるかに高倍率の延伸(合計11倍を超える延伸)を行っている」とすることは到底できない。
審決は、上記の点を認定するについて、当分野の技術常識にも合致しているとしているが、その適用を誤っているものというべきである。即ち、甲第3号証の実施例2と実施例4とでは延伸に供される前の処理がすでに異なっているため、その異質の紡出糸に施される全延伸倍率がたとえ同一でも、物性の異なる製品が得られるのは、以下述べるとおりむしろ当然である。
甲第3号証には、実施例2について「この紡糸溶液を12穴ノズルから押出し、プロパノール凝固浴に導入した。紡糸溶液は約8.2cm3/mmの速度で、径200μの紡糸ノズルの12の穴を通過した。・・・延伸装置の導入速度20m/mmとし、」と記載されている。実施例3については「この紡糸溶液を前記実施例と同様に30穴の紡糸ノズルを介して20℃のプロパノール凝固液中に紡糸した。」と記載され、この部分が実施例4で援用されている。してみれば、紡糸ノズル孔数は両者で相違(実施例2で12、実施例4で30)している。ところで、約8.2cm3/mmという紡糸溶液速度は勿論全体の合計であり、これを12穴ノズルから紡出するか、30穴の紡糸ノズルに供給するかによって、1穴当たりに配分される溶液通過量は大幅に異なる。紡糸ノズルの径200μも別段各実施例で異なるとすべき証拠はないから、実施例2では実施例4に比べ、実に2.5倍もの速度で紡出がなされたことに相当する。
紡出された糸条が異なる速度比率で引き取られたとき、その履歴に応じて紡出糸の微細構造、ひいては物理的性質に影響が及ぶことは技術常識である。したがって、紡糸口金の孔数の相違がフィラメントの強度、伸び、繊度の相違をもたらすことは明らかであり、両実施例の延伸倍率が同一であっても、フィラメントの強度、伸び、繊度が相違するのは、延伸前の紡出糸自体がすでに異なっている以上何ら奇異なことではなくむしろ当然である。審決のいう技術常識は、前提条件を共通にして初めて適用できるものであり、上記両実施例の間では妥当しない。
第三 請求の原因に対する認否及び反論
一 請求の原因一ないし三は認める。同五は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。
二 反論
1 甲第3号証の実施例4における「紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する」という記載の直前には、紡糸溶液を調整したことが記載されており、またその直後には新たなセンテンスとして、「1:9の最終延伸後に得られたフィラメントは・・・」と記載されているから、上記記載中の「引続いての操作」とは、紡糸溶液を調整した後で、かつ最終延伸の前までの工程を意味することは明らかである。
そもそも、甲第3号証の2欄44行ないし49行に「紡糸した直後の糸は2段階で延伸できる。即ち、第1段階では90~105℃の温度で予備延伸を行い、第2段階では110℃~軟化点近傍の温度で最終的に延伸を行う。」と記載され、クレーム2において「2.紡糸した直後の糸を2段階で、即ち、第1段階では90~105℃の温度で予備延伸し、第2段階では110℃以上の温度で最終的に延伸することを特徴とするクレーム1の方法。」と記載されているとおり、高分子量ポリオレフィン溶液を紡糸した後、二段階で延伸する方法を開示しているのである。しかるに原告の主張するように、甲第3号証の実施例4における「引続いての操作は実施例3と精確に一致する」という部分の「引続いての操作」が実施例4の第2文、第3文までしか言及していないとすると、甲第3号証の実施例4には、紡糸以降の操作をいかなる方法で行ったかについて何らの説明もないことになり、実施例としての体をなさなくなる。のみならず、甲第3号証の実施例1ないし3には、第一段階及び第二段階における各延伸倍率が明示されているから、実施例4についてだけ、紡糸後第一段階の延伸までの操作が何も記載されておらず、合計の9倍である、などという原告の解釈が成り立つ余地は全くない。
しかして、実施例4においては、第一段階の延伸として実施例3と精確に一致する2.4倍の延伸が行われ、次いで第二段階の延伸として1:9、即ち9倍の最終延伸が行われたこと、したがって合計の延伸倍率としては、2.4×9=21.6倍の延伸が行われたことは明らかである。
2 甲第3号証の実施例4に対応する甲第6号証の実施例Ⅴにおける「元の長さの9倍」(“9 times their original length”)とは、「最終延伸の前の長さの9倍」と理解すべきであって、原告が主張するように、上記実施例Ⅴについて、延伸倍率は第一段階の延伸前の長さを基準として「元の長さを9倍」などと解すべき根拠は何もない。
さらに、甲第6号証の5欄15行ないし17行には「本方法においては、高度の延伸あるいは伸張が可能であり、それにより非常に小さいデニールのフィラメントを得ることができる。」と記載されているところ、この記載中の「高度の延伸あるいは伸張」とは、甲第6号証のその直前の「通常は1:9あるいは1:10」のトータル延伸比よりも高度の延伸あるいは伸張を意味することは明白であり、甲第3号証の実施例4及び甲第6号証の実施例Ⅴは、かような1:9ないし1:10のトータル延伸比よりも高度の延伸を行って、非常に小さいデニールのフィラメントを得る実施態様であると理解すべきである。
3 審決は、甲第3号証の実施例2では、分子量150,000、紡糸溶液濃度12%、引張強度70Rkm、伸び15%、繊度3デニールであるのに対し、実施例4では、分子量150,000、紡糸溶液濃度15%、引張強度125Rkm、伸び3.8%、繊度1.8デニールであること、実施例2の合計延伸比は9倍であることを踏まえて、「実施例4では、実施例3の第1段延伸(水浴中での延伸)の2.4倍と最終延伸9倍との積(2.4×9)である合計21.6倍の延伸が行われているか、少なくとも、実施例2の約9倍よりはるかに高倍率の延伸(合計11倍を越える延伸)を行っていると解するのが相当である。」としたものであって、この認定は正当である。
原告は、甲第3号証の実施例2と実施例4でその延伸倍率が同一であるにもかかわらず、フィラメントの強度、伸び、繊度が相違するのは、延伸前の処理、具体的にはノズル孔数の相違に起因するものである旨主張する。
しかし、甲第3号証の実施例3における「この紡糸溶液を前記実施例と同様に30穴の紡糸ノズルを介して20℃のプロパノール凝固浴中に紡糸した。」との記載は、実施例2において行った紡糸溶液を約8.2cm3/minの速度で径200μの紡糸ノズルの12の穴を通過させたと同様の条件、即ち径200μの紡糸ノズルの1穴当たりの紡糸溶液の吐出速度を同一条件とすること、したがって実施例3の30穴の紡糸ノズルの場合は、紡糸溶液は、
<省略>
の速度(吐出量)で、30穴の紡糸ノズルを通過させたことを意味する。もし原告が主張するように、紡糸ノズルの穴数が12穴(実施例2)から30穴(実施例3)に増加しても、紡糸溶液の流速(吐出量)を約8.2cm3/minに一定したら、実施例2(12穴)の場合と、実施例3(30穴)の場合とで、ノズル1穴当たりの紡糸溶液の流速という極めて重要な条件が大きく異なり、したがって紡糸条件が同様の条件にならなくなることは余りにも明らかである。
原告の主張は、甲第3号証の実施例3に「前記実施例と同様に・・・紡糸した。」と記載されているにもかかわらず、全く別個の条件で紡糸したものとするものであるから、到底成り立たないものである。
第四 証拠
証拠関係は書証目録記載のとおりであって、理由中に掲示する書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。
理由
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、同二(本件発明の要旨)及び同三(審決の理由)については、当事者間に争いがない。
そして、審決の理由中、請求の原因四(審決の理由に対する認否)において原告が「争う。」とした部分を除くその余の部分については、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の取消事由の当否について検討する。
1 甲第3号証(西独特許第1024201号明細書)に関して当事者間に争いのない審決摘示の事項(別添審決書写し10頁3行ないし13頁7行)及び甲第3号証によれば、甲第3号証には、ポリエチレンの延伸等に関して、(イ)「紡糸した糸は2段階で延伸できる。即ち、第1段階では90~105°の温度で延伸を行い、第2段階では110°~軟化点近傍の温度で最終延伸(zu Ende verstreckt)を行う。」(2欄44行ないし49行)、(ロ)「ノズルから出たフィラメントは、・・・凝固液を通過させ、次いで、長さ4mの石油エーテル洗浄浴に導入させ、次いで、長さの約3倍に延伸させた。前延伸後、フィラメントを再び石油エーテルで洗浄し、次いで、同じく長さの3倍(即ち、全部で9倍)に延伸した。」(3欄65行ないし4欄3行、実施例1)、(ハ)「低圧法で製造した分子量150,000のポリエチレンを180°のパラフィン油に溶解して12%紡糸溶液を形成した。前記実施例と同様、この紡糸溶液を12穴ノズルから押出し、プロパノール凝固液に導入した。紡糸溶液は約8.2cm3/minの速度で、径200μの紡糸ノズルの12の穴を通過した。凝固液から出たフィラメントは、石油エーテル洗浄浴を通過させ、次いで、延伸装置を通過させ、もとの長さの21/2倍に延伸させた。・・・最終段の通過後の延伸比は合計でもとの長さの約9倍である。得られたフィラメントは、70Rkmの強度及び15%の伸びであり、約3デニールの繊度を有する。」(4欄7行ないし30行、実施例2)、「フィラメントは、・・・凝固液を通過させ、次いで、長さ6mの石油エーテル洗浄浴に導入し、次いで、4mの95°の水浴中でもとの長さの2.4倍に延伸した。・・・得られたフィラメントを延伸撚糸機の熱板(112°)上でもとの長さの3.3倍に延伸した。」(4欄43行ないし62行、実施例3)、「低圧法で得られた分子量150,000のポリエチレン粉末150gを実施例3に従って白油(ホワイトオイル)1kgに溶解して15%紡糸溶液とした。紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する。1:9の最終延伸(einer Endverstreckung)後に得られたフィラメントは、3.8%の伸びにおいて125Rkmの強度を示した。個々のフィラメント繊度は1.8デニールである。」(4欄66行ないし5欄4行、実施例4)、「2.新しく紡糸したヤーンを2段階で、即ち、第1段階では90~105℃の温度で延伸し、第2段階では110℃以上の温度で最終延伸する(zu Ende verstreckt wird)ことを特徴とするクレーム第1の方法。」(6欄8行ないし13行、クレーム2)との各記載があること、甲第3号証に記載されている実施例1の全延伸倍率は9倍、実施例2のそれは約9倍、実施例3のそれは7.92倍であることが認められる。
2 ところで、甲第3号証のクレーム2や2欄44行ないし49行において第二段階の延伸に当たる「最終延伸」として用いられている独語原文は“zu Ende verstreckt”であるのに対し、実施例4において「最終延伸」として用いられている独語原文は“einer Endverstreckung”であって相違していること、甲第3号証には、「紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する。」(“Die weitere Verarbeitung der Spinnlosung entspricht genau dem Beispiel 3.”)と記載されているけれども、上記認定のとおり、実施例3の第一段階の延伸倍率は2.4倍、第二段階の延伸は3.3倍、全延伸倍率は7.92倍であって、実施例4に示されている「1:9」というのは実施例3における全延伸倍率より高いものであるから、延伸倍率については「精確に一致」していないことは明らかであり、審決自体、第二工程の延伸倍率については実施例3と異なるものとしながら、その場合でもなお、第一段階の延伸倍率についてだけは実施例3と同じものと解さなければならない必然性ないし合理的理由を認め難いこと、甲第3号証に記載されている実施例1の全延伸倍率は9倍、実施例2のそれは約9倍、実施例3のそれは7.92倍であるところ、仮に実施例4の全延伸倍率が21.6倍とすると、他の実施例の場合と比べて際立って高率のものとなり、「低圧法による高分子量の脂肪族ポリオレフィンの細いフィラメントの製造法」に係る甲第3号証の発明において、フィラメントの延伸倍率が重要な要素であることは明らかであるのに、上記のように他と著しく均衡を失するものを実施例として何らの説明もなく挙示するとは考えられないこと、後記3に判示するとおり、甲第3号証の実施例4の延伸比に関する梶山千里教授の見解はたやすく採用することができないことを総合すると、「実施例4では、実施例3の第1段延伸(水浴中での延伸)の2.4倍と最終延伸9倍との積(2.4×9)である合計21.6倍の延伸が行われているか、少なくとも、実施例2の約9倍よりはるかに高倍率の延伸(合計11倍を超える延伸)を行っていると解するのが相当である。」とした審決の認定は、その根拠において不十分であると認めざるを得ない。
被告は、甲第3号証の実施例4における「紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する」との記載中の「引続いての操作」とは、紡糸溶液を調整した後で、かつ最終延伸の前までの工程を意味することは明らかである旨主張し、乙第13号証(ベルント・ハンゼン博士の宣誓供述書)には上記主張に沿う記載があるが、採用できない。
また被告は、甲第3号証の実施例1ないし3には、第一段階及び第二段階の各延伸倍率が明示されていることもその主張の根拠としているが、前記認定のとおり、実施例2では第二段階の延伸倍率について明示されているわけではない。
3 甲第3号証の実施例2は、分子量150,000、紡糸溶液濃度12%、引張強度70Rkm、伸び15%、繊度3デニールであるのに対し、実施例4は、分子量150,000、紡糸溶液濃度15%、引張強度125Rkm、伸び3.8%、繊度1.8デニールであるところ、乙第4号証(九州大学工学部梶山千里教授の「西独特許第1024201号に対する意見」と題する書面)には、紡糸した糸を延伸した場合、延伸比が増すほどその延伸比の増加に対応してフィラメントの引張強度が増すとともに、伸びが小さくなり、繊度が低くなる(フィラメントが細くなる)ことは高分子化学、繊維化学の分野において周知であり、西独特許第1024201号(甲第3号証)の実施例2と実施例4とは、紡糸溶液濃度及び原料ポリエチレンの分子量が同じであるにもかかわらず、実施例4に記載されたポリエチレン延伸フィラメントの物性は、実施例2の延伸フィラメントに比べて、引張強度が約2倍大きく、伸びは約1/4と小さく、繊度は約1/2と低い(細い)から、実施例4の延伸フィラメントの延伸比が実施例2の延伸フィラメントよりも大きいことは極めて明白であって、9倍を相当大きく越えることは上記周知事実から当然判断し得るとしたうえ、実施例4では最初に実施例3と同じく2.4倍に延伸し、その後1:9の最終延伸を行ったことは明らかであるから、実施例4の延伸比は合計で2.4×9=21.6倍延伸されていると判断することも可能である旨記載されていることが認められる。また、乙第6号証(同教授の「実験報告書(平成6年5月12日)の結果に基づく西独特許第1024201号に対する意見」と題する書面)には、被告の実験報告書(乙第5号証)に示された実験結果から、実験-2(実施例4の追試)で得られた延伸フィラメントは、それと同一延伸比の実験-1(実施例2の追試)及び実験-3(実施例4の追試)で得られた延伸フィラメントと比べて、強度及び伸びの相違はそれほど顕著ではなく、延伸フィラメントの強度及び伸びを決める最大の要因はノズルから押出されるフィラメント(原糸)の繊度ではなく延伸比であることが判る旨、甲第3号証の実施例2と実施例4の延伸フィラメントの強度及び伸びの違いは延伸比が大きく違うことによると考える方が高分子化学、繊維化学の分野に携わる者にとって極めて自然である旨、そして結論として、甲第3号証の実施例4に記載されたポリエチレン延伸フィラメントの全延伸比は9倍を大きく超えるものと考えるのが自然であり、実施例1ないし3の記載を参考にすると21.6倍と判断するのが適当である旨記載されていることが認められる。さらに、乙第7号証(同教授の「西独特許第1024201号及びスイス特許第359514号に対する意見」と題する書面)には、甲第3号証の実施例4に記載されたポリエチレン延伸フィラメントの延伸比は9倍を相当大きく越えると判断するのが相当であり、その延伸比は各実施例の記載から21.6倍であると判断することもできる旨記載されていることが認められる。
しかし、上記2に判示したとおり、実施例4において第一段階の延伸倍率についてだけ実施例3と同じものと解さなければならない必然性ないし合理的理由を認め難いこと、合計21.6倍という延伸比は、他の実施例の場合と比べて際立って高率であって、そのようなものを何らの説明もなく実施例として挙示するとは考えられないことに加えて、乙第5号証に記載されているフィラメントの物性(強度及び伸び)は甲第3号証に記載されているものと大幅に相違している(例えば、甲第3号証の実施例2の追試である実験-1の合計延伸比が9倍である場合と、甲第3号証の実施例2(合計延伸比9倍)とを比較すると、伸びは15%と両者一致するが、強度については、実験-1は20Rkmであるのに対し、実施例2は70Rkmと大幅に相違する。また、甲第3号証の実施例4の追試に関していえば、紡糸時の溶液の吐出量を全体で実施例2と同一にした実験-2の強度は26Rkm、伸びは14%、紡糸時の溶液の吐出量を1穴当たりで実施例2と同一にした実験-3の強度は17Rkm、伸びは12%であって、甲第3号証の実施例4の強度(125Rkm)、伸び(3.8%)と著しく相違している。)から、乙第6号証がその根拠とする乙第5号証の実験結果は、甲第3号証の実施例2及び実施例4についての正確な追試であるとは認められないこと、乙第6号証記載の意見は、乙第5号証の実験-1、実験-2及び実験-3で得られた延伸フィラメントの強度及び伸びの相違はそれほど顕著ではないとし、延伸フィラメントの強度及び伸びを決める最大の要因は延伸比であることを前提としているが、合計延伸比がいずれも9倍である場合の強度は、実験-1が20Rkm、実験-2が26Rkm、実験-3が17Rkmであって、それぞれの差を小さいものと一概に評価することはできないから、強度に顕著な相違がないことを前提として延伸フィラメントの強度を決める要因が繊度ではなく延伸比であるとたやすく即断することはできないことを総合すると、乙第4号証、乙第6号証及び乙第7号証に記載されている甲第3号証の実施例4の延伸比に関する見解はたやすく採用することができない。
4 ちなみに、甲第6号証(米国特許第3048465号明細書)は甲第3号証に基づき優先権を主張して出願されたものであるが、甲第6号証には、(イ)「最初の延伸工程は、最も普通には糸の元の長さの約2倍ないし2.5倍、あるいは3倍までの延伸が必要である。第二段階の溶媒抽出後の最終延伸は、ごく普通には、さらに3倍~6倍に延伸され、そして元のフィラメント長に対するトータル延伸比あるいはトータル伸張比は、通常は1:9あるいは1:10を越えないものである。本方法においては、高度の延伸あるいは伸張が可能であり、それにより非常に小さいデニールのフィラメントを得ることができる。」(5欄10行ないし19行)、(ロ)「また必ずしもあらゆる場合に必要というわけではないが、紡糸されたフィラメントの元の長さの合計で延伸比9倍あるいは10倍を超えない範囲でさらに延伸を行ってもよい。」(7欄57行ないし60行)と、第一延伸と第二延伸とのトータル延伸比あるいはトータル伸張比が9ないし10倍を越えないことが明記されていることが認められる。この点について被告は、上記「本方法においては、高度の延伸あるいは伸張が可能であり、それにより非常に小さいデニールのフィラメントを得ることができる。」との記載中の「高度の延伸あるいは伸張」とは、「通常は1:9あるいは1:10」のトータル延伸比よりも高度の延伸あるいは伸張を意味することは明白であり、甲第3号証の実施例4及び甲第6号証の実施例Ⅴは、かような1:9あるいは1:10のトータル延伸比よりも高度の延伸を行って、非常に小さいデニールのフィラメントを得る実施態様であると理解すべきである旨主張するが、採用できない。
そして、甲第6号証には、実施例Ⅴについて「得られたフィラメントは元の長さの9倍の最終延伸(a final stretch of 9 times their original length)を有し、伸び3.8%における強度は125 Riess kilometer(13.9g/デニール)であった。個々のフィラメントの繊度は、1.8デニールであった。」(7欄26行ないし29行)と記載されており、上記実施例Ⅴは甲第3号証の実施例4と原料、製造方法、得られたフィラメントの物性が同一であることが認められるところ、甲第6号証において、「original length」(元の長さ)という用語はいずれも第一延伸前の長さを表現するものとしてのみ使用されているものと解されること、実施例Ⅴにおける「元の長さの9倍」が第二段階の延伸の倍率であるとすると、第一段階の延伸における最も小さい倍率として開示されている1.5倍を採用したとしても、トータル延伸比は13.5倍(1.5×9)となって、甲第6号証における「通常は1:9あるいは1:10を越えない」という記載に反することになり、そのようなものを最適な実施例として挙示するとは考えられないこと、甲第6号証に記載されている各実施例の全延伸倍率は、実施例Ⅰが8倍、実施例Ⅱが9倍、実施例Ⅲが約9倍、実施例Ⅳが7.92倍であって、被告の主張する全延伸倍率21.6倍というのは他の各実施例の全延伸倍率と比べて際立って高率のものであって、そのような高率のものを何らの説明もなく実施例として挙示するとは考えられないことを総合すると、甲第6号証の実施例Ⅴにおける「元の長さの9倍」が第二段階の延伸の倍率を意味しているものとは到底認め難い。
この点からいっても、甲第3号証の実施例4における「1:9」を第二段階のみの延伸比と認め難いことが裏付けられる。
5 乙第8号証の1(アーヘン工科大学H.ヘッカー教授の鑑定書)には、甲第3号証の実施例4の全延伸倍率は9倍をかなり大きく越え、ほぼ22倍になる旨記載されているが、その理由は、前記乙第6号証に記載されているところと格別異なるところはなく、叙上判示したところに照らして採用することができない。
甲第12号証(エバ・ブライントルヒラー博士の「ドイツ特許庁の特許公報第1024201号(発行日1962.12.6)に関する言語学的所見」と題する書面)には、「術語“最終延伸”(最後まで延伸する、再度延伸する、最終段通過後の延伸と同義)は、この特許公報において、一貫して、2段延伸プロセスの第2段の意味である。第1段は、概ね、術語「前延伸」で示される。」との記載があるが、一方、「最終延伸のみで1:9なる数値は、特許公報のどこにも証明されていない。」、「1:9の延伸倍率は、延伸(第1及び第2段)の合計値以外のものではない。」との記載もあって、その記載内容は必ずしも明確であるとは認め難く、同号証をもって、甲第3号証の実施例4の延伸比が11以上であると認め得る資料とすることはできない。
他に、甲第3号証の実施例4の延伸比が11以上であることを肯認し得る証拠はない。
6 以上のとおりであるから、審決が、「実施例4では、実施例3の第1段延伸(水浴中での延伸)の2.4倍と最終延伸9倍との積(2.4×9)である合計21.6倍の延伸が行われているか、少なくとも、実施例2の約9倍よりはるかに高倍率の延伸(合計11倍を超える延伸)を行っていると解するのが相当である。この点は、甲第12号証に係る九州大学工学部応用物質化学科梶山千里教授の鑑定意見及び甲第13号証に係る東京工業大学工学部材料工学講座奥井徳昌教授の鑑定意見によって明白であり、また当分野の技術常識にも合致する。」と認定したのは誤りであり、したがって、この認定を前提として、本件発明と甲第3号証に開示された発明とは、「濃度1~30重量%の範囲内のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸することによって得られるポリエチレン延伸フィラメント」である点で一致する、とした認定も誤りである。
そして、上記認定の誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであって、審決は違法として取消しを免れない。
原告主張の取消事由は理由がある。
三 よって、原告の本訴請求は理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)
平成3年審判第11479号
審決
東京都千代田区霞が関3丁目2番5号
請求人 三井石油化学工業株式会社
東京都港区赤坂1-9-15 日本自転車会館内
代理人弁理士 小田島平吉
東京都港区赤坂1-9-15 日本自転車会館内 小田島特許事務所
代理人弁理士 江角洋治
東京都千代田区丸の内3丁目4番1号 新国際ビル906区
代理人弁護士 花岡嚴
オランダ国 ゲリーン(番地なし)
被請求人 スタミカーボン・ビー・ベー
東京都新宿区新宿1丁目1番14号 山田ビル 川口国際特許事務所
代理人弁理士 川口義雄
東京都新宿区新宿1-1-14 山田ビル 川口國際特許事務所
代理人弁理士 中村至
東京都新宿区新宿1-1-14 山田ビル 川口国際特許事務所
代理人弁理士 船山武
東京都新宿区新宿1-1-14 山田ビル 川口國際特許事務所
代理人弁理士 俵湛美
東京都新宿区新宿1丁目1番14号 山田ビル 川口國際特許事務所
代理人弁理士 坂井淳
上記当事者間の特許第1601171号発明「ポリエチレン延伸フイラメント」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。
結論
特許第1601171号発明の特許を無効とする。
審判費用は、被請求人の負担とする。
理由
[1]本件特許第1601171号(以下、「本件特許」という。)は、昭和55年2月7日に出願(優先権主張1979年2月8日、オランダ国)した特願昭55-14245号を原出願として、昭和59年8月10日に特許法第44条第1項の規定による特許出願として特許出願されたものであり、平成元年2月15日に出願公告(特公昭64-8732)された後、平成3年1月31日に設定登録がなされたものであり、その発明の要旨は、明細書および図面の記載からみて、その特許請求の範囲第1項に記載された次のものと認める。
「濃度1~30重量%の、重量平均分子量60万以上のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸することにより得られうる少なくとも1.32GPaの引張強度と、少なくとも2.39GPaの弾性率を有するポリエチレン延伸フィラメント。」
[2]請求人は、本件特許は無効とすべきものであるとし、その理由として以下の点を主張する。
(1)無効理由1の1(概要)
本件特許出願の原出願である特願昭55-14245の昭和62年9月16日付け手続補正書による補正は特許法第64条第2項で準用する同法第126条第2項の規定に違反するものであるから、原出願の発明の要旨は、昭和61年12月13日付け手続補正書によって補正された特許請求の範囲に記載された「ポリオレフィンフィラメントを製造する方法」にある。そして、本件特許発明は原出願の発明と実質的に同一の発明であるから、本件特許出願は2以上の発明を包含する特許出願の一部を分割した出願であるとは認められず、特許法第44条第1項に規定された要件を満たしていないので、同条第2項の規定による出願日の遡及は認められない。そうすると、本件特許発明は、原出願の特許公開に係る特開昭55-107506号公報(甲第7号証)に記載された発明であるから、特許法第29条第1項第3号の規定に該当し特許を受けることができないものである。よって、本件特許は、特許法第123条第1項第1号の規定により無効とされねばならないものである(請求人の平成5年4月5日付け口頭審理陳述要領書第4頁第5行~第22頁末行参照)。
(2)無効理由1の2(概要)
原出願の昭和62年9月16日付け手続補正書による補正が適法なものであって、原出願の発明の要旨を「設定登録された発明」と認定したとしても、本件特許発明は、原出願の発明と実質的に同一発明であって、本件特許出願は2以上の発明を包含する特許出願の一部を分割した出願であるとは認められず、特許法第44条第1項に規定された要件を満たしていないので、本件特許は、上記無効理由1の1と同様の理由により、特許法第123条第1項第1号の規定により無効とされねばならないものである(請求人の平成5年4月5日付け口頭審理陳述要領書第12頁末行~第22頁末行参照)。
(3)無効理由2(概要)
本件特許出願が適法な分割出願であって特許法第44条第2項の規定による出願日の遡及が認められたとしても、本件特許発明は、
(1)甲第4号証及び甲第3号証に記載された発明に基づいて、又は
(2)甲第2号証及び甲第1号証に記載された発明に基づいて、若しくは甲第2号証、甲第1号証及び甲第3号証に記載された発明に基づいて、又は
(3)甲第4号証及び甲第2号証に記載された発明に基づいて、若しくは甲第4号証、甲第2号証及び甲第3号証に記載された発明に基づいて、又は
(4)第4号証、甲第2号証及び甲第9号証に記載された発明に基づいて、
当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものであるので、その特許は同法第123条第1項第1号に該当し無効とすべきである(請求人の平成5年4月5日付け口頭審理陳述要領書第23頁第1行~第57頁第3行参照)。
(4)無効理由3(概要):
本件特許の明細書の特許請求の範囲に記載されている「得られうる」の文言は不明瞭であり、種々の異なる解釈を生ぜしめる余地があり、本件特許は、特許法第36条第4項に規定する要件を満たしていないので、同法第123条第1項第3号に該当し無効とすべきである(請求人の平成5年4月5日付け口頭審理陳述要領書第57頁第4行~第61頁第1行参照)。
証拠方法
甲第1号証:特公昭37-9765号公報
甲第2号証:英国特許第1、100、497号明細書
甲第3号証:特開昭52-155221号公報
甲第4号証:西独特許第1、024、201号明細書
甲第5号証:Journal of Polymer Science:Polymer Symposium 59、55-86(1977)
甲第6号証の1:特公昭60-47922号公報
甲第6号証の2:昭和61年12月13日付手続補正書
甲第6号証の3:昭和62年2月2日付拒絶理由通知書
甲第6号証の4:昭和62年9月16日付手続補正書
甲第6号証の5:平成2年審判第7328号の審決
甲第7号証:特開昭55-107506号公報
甲第8号証:三井石油化学工業株式会社高分子研究所八木和雄及び立会人九州大学工学部応用物質化学科梶山千里教授の実験報告書
甲第9号証:特公昭41-6215号公報
甲第10号証:東京地方裁判所平成元年(ワ)第5653号特許権侵害禁止等請求訴訟事件において被告(本件無効審判請求事件の請求人)から提出された平成2年1月26日付求釈明申立書
甲第11号証:上記訴訟事件において、原告(本件無効審判請求事件の被請求人)から提出された原告第三準備書面
甲第12号証:九州大学工学部応用物質化学科梶山千里教授の意見書
甲第13号証:東京工業大学工学部材料工学講座奥居徳昌教授の意見書
甲第14号証:大成社出版部昭和46年3月10日第2版発行、「ポリマー辞典」51頁及び277頁
甲第15号証:特開昭56-15408号公報
(ほかに参考資料1~15を提出している。)
一方、被請求人は、請求人の主張する理由および提出された証拠方法のいずれによっても本件特許を無効とすることはできない、旨答弁する(平成4年11月2日付け答弁書、同年3月2日付け第2回答弁書、同年3月22日付け口頭審理陳述要領書、同年7月5日付け審判事件回答書、同年8月2日付け上申書参照)。
証拠方法
乙第1号証:Angew. Chem., 67、426 (1955)
乙第2号証:Dr.W.M.F.Pontenagel作成供述書写
乙第3号証:平成4年1月29日付実験報告書
乙第4号証:Makromol.Chem.,Suppl.2、p99、122、125(1979)
乙第5号証:米国特許第3、048、465号明細書
乙第6号証:特開昭61-174416号公報
乙第7号証の1:特公昭60-38114号公報
乙第7号証の2:特公平1-35638号公報
乙第8号証:横内澪・中村至訳、ポリエステル繊維、株式会社コロナ社、昭和42年3月15日発行
乙第9号証:現代繊維辞典、株式会社センイ・ジヤァナル、昭和43年12月1日増補改訂版発行
乙第10号証:井口正俊・京谷裕子、繊維学会誌、第46巻第10号、471~476頁、社団法人繊維学会発行、1991年
[3]そこで、請求人の主張する無効理由について検討することとし、最初に発明の進歩性(無効理由2)について検討する。
1.引用発明について
(1)甲第4号証:
請求人が提出した甲第4号証西独特許第1、024、201号明細書は、昭和38年4月26日に特許庁資料館に受入れられており、遅くともその時点までに日本国内において頒布された刊行物であると認められる。
そして、甲第4号証には、「低圧法による高分子量の脂肪族ポリオレフィンの細いフィラメントの製造法」に関し、以下の事項が記載されているものと認める(請求人が平成5年7月13日付けで提出した上申書に添付された参考資料16、17も参照)。
(a)「1.パラフィン炭化水素及び/又はナフテン炭化水素から成る油にポリオレフィンを溶解した溶液をアルコールまたはエーテルまたはこれらの混合物から成る凝固浴中で紡糸することによって、低圧法で生成した高分子量の脂肪族ポリオレフィンから成る微細なフィラメントを製造する方法において、炭素原子数が2~5の脂肪族ポリオレフィンの重合体を上記の油に溶解して18%以下の濃度で溶解した溶液とし、次いで紡糸した糸を5~10cmの空間を通過させた後、凝固浴に導入することを特徴とする方法。」(甲第4号証第5欄、参考資料17第6頁のクレーム1) (b)「低圧法で製造した分子量150、000のポリエチレンを180°のパラフィン油に溶解して12%紡糸溶液を形成した。前記実施例と同様、この紡糸溶液を12穴ノズルから押出し、プロパノール凝固浴に導入した。紡糸溶液は約8.2cm/minの速度で、径200μの紡糸ノズルの12の穴を通過した。凝固浴から出たフイラメントは、石油エーテル洗浄浴を通過させ、次いで、延伸装置を通過させ、もとの長さの2・1/2倍に延伸された。延伸装置の導入速度20m/minとし、引出速度は50m/minとした。延伸装置の通過後、フィラメントをエーテルで洗浄して巻取られた。かくして得られたフィラメントは、例えば、ポリアミドまたは直鎖ポリエステルの加工に使用する延伸撚糸機で更に延伸し、撚ることができる。最終段の通過後の延伸比は合計でもとの長さの約9倍である。得られたフィラメントは、70RKmの強度及び15%の伸びであり、約3デニール繊度を有した。」(同第4欄、同第4~5頁の実施例2) (c)「低圧法で製造した分子量500,000のポリエチレン粉末60gを沸点204~227°の無色の鉱油に180°に加熱して溶解した。この紡糸溶液を前記実施例と同様に30穴の紡糸ノズルを介して20℃のプロパノール凝固浴中に紡糸した。ノズル穴と凝固浴液面との問には、長さ8cmの空間を設けた。フィラメントは約2・1/2mの凝固浴を通過させ、次いで、長さ6mの石油エーテル洗浄浴に導入し、次いで、再び4mの95°の水浴中でもとの長さの2.4倍に延伸した。次いで、再び長さ約6mの石油エーテル洗浄浴を通過させた後、フィラメントを通常の如く巻取った。石油エーテル洗浄浴は、フィラメントを上部から導入し、方向変更ローラを介して下方に導き、再び上端に導く、長さ3mの垂直パイプの形を有するのが合目的物である。石油エーテル中の白油の濃度が大きくなるのを避けるため、洗浄パイプにおいて石油エーテルを下方から引出し、蒸留して再び上部から導入する。
得られたフィラメントを、延伸撚糸機の熱板(112°)上でもとの長さの3.3倍に延伸した」(同第4欄、同第5~6頁の実施例3)
(d)「低圧法で得られた分子量150,000のポリエチレン粉末150gを実施例3に従って白油(ホワイトホイル)1Kgに溶解して15%紡糸溶液とした。紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する。1:9の最終延伸後に得られたフィラメントは3.8%の伸びにおいて125RKmの強度を示した。個々のフィラメント繊度は1.8デニールである。」(同第4~5欄、同第6頁の実施例4)
上記の紡糸方法における、原料重合体、溶媒、凝固浴、紡糸プロセス等からみて、甲第4号証記載の紡糸方法によってゲルフィラメントが得られるものと推認され、この点は、甲第4号証の実施例3では、分子量50万の原料ポリエチレンを鉱油に溶解して、プロパノール凝固液中に紡糸しているが、被請求人の本件特許の先願特許出願に係る甲第15号証特開昭56-15408号公報には、これとほぼ等しい原料、紡糸方法によってゲルフィラメントが得られることが記載されている(第3頁左上欄第1~2行)ことからしても否定できない。
また、実施例4では、「紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する。1:9の最終延伸後に得られたフィラメントは、3.8%の伸びにおいて125RKmの強度を示した。個々のフィラメント繊度は1.8デニールである。」としており、実施例2のものの延伸比(約9倍)、得られたフィラメントの強度(70RKm)、伸び(15%)、フィラメント繊度(約3デニール)、を各々考慮すると、実施例4では、実施例3の第1段延伸(水浴中での延伸)の2.4倍と最終延伸9倍との積(2.4×9)である合計21.6倍の延伸が行われているか、少なくとも、実施例2の約9倍よりはるかに高倍率の延伸(合計11倍を超える延伸)を行っていると解するのが相当である。この点は、甲第12号証に係る九州大学工学部応用物質化学科梶山千里教授の鑑定意見及び甲第13号証に係る東京工業大学工学部材料工学講座奥井徳昌教授の鑑定意見によって明白であり、また当分野の技術常識にも合致する。
なお、実施例4ではポリエチレン粉末150gを白油1Kgに溶解して紡糸溶液としているので、紡糸溶液濃度は、約13重量%(150/1150×100%)であると認められる。
以上の点を考慮すると、甲第4号証には、「濃度約13重量%、分子量150,000のポリエチレンの溶液を紡糸して、溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸するポリエチレン延伸フィラメントの製造方法、およびその製造方法によって得られた強度125RKmのポリエチレン延伸フィラメント」が、実質的に開示されているものと認められる。
なお、強度125RKmはGPaに換算すると約1.2GPaであると認められる。
(2)甲第2号証:
請求人が提出した甲第2号証英国特許第1、100、497号明細書は、昭和43年3月23日に特許庁資料館に受入れられており、遅くともその時点までに日本国内において頒布された刊行物であると認められる。
そして、甲第2号証には、「感熱性重合物からの繊維の製造法」に関し、次の事項が記載されているものと認められる(請求人が平成5年4月5日付けで提出した口頭審理陳述要領書に添付された訳文をも参照)。
(a)「感熱性重合体を用いて、すでに述べたような方法により繊維を製造する方法で、下記のような工程を有するもの。
重合体の分解温度以下の高温で重合体を溶解し、それ以下の温度では重合体を溶解しないような少なくとも一種類のノンポリマー化合物中への重合体の溶解を行う工程。
上記により得た重合体溶解溶液を紡糸口金より下向きに、加熱していない空気中に押出し溶液を重合体溶解温度以下に冷却し、溶媒より重合体を分離させ、重合体を生成させる工程。」(甲第2号証第7頁、訳文第18頁のクレーム1.)
(b)「上記特許請求の範囲1.~4.に定める方法で、分子量750,000を超えるポリオレフィンを重合体として使用する方法。」(同第7頁、訳文第19頁のクレーム6.)
(c)「上記特許請求の範囲6.に定める方法において、ポリオレフィンとして、ポリエチレン或いはポリプロピレンを使用する方法。」(訳文第7頁、同第19頁のクレーム7.)
(d)「上記特許請求の範囲7.に定める方法で、重合体としてポリエチレン、ノンポリマー化合物としてナフタレンを用いる方法。」(同第7頁、訳文第19頁のクレーム11.)
(e)「本発明に基づく方法では、すでに述べたような先行技術の欠点がない。本方法では、重合体を2~33重量%含有する溶液を使用することができる。重合体溶液は紡糸口金より下方へ、加熱していない空気中に押出し繊維を形成し、紡糸中に溶媒を除去することなくボビンへ巻取ることができるので、高速紡糸が可能で、場合によっては、1000m/min以上の紡糸速度を達成可能である。…(略)…重合体はほとんど全量が、他に比較し溶解性の大きな溶媒を形成する相に濃縮され、連続した濃縮繊維ゲルを形成する。」(同第2頁第24~88行、訳文第4頁第2~第5頁12行)
以上の各記載を考慮すると、甲第2号証には、「分子量75万以上のポリエチレンの溶液を紡糸口金から冷空気中に押出してゲルフィラメントを形成して、巻き取って、このゲルフィラメントを通常の技術で延伸し、仕上げること」が開示されているものと認められる。
(3)甲第3号証:
請求人が提出した甲第3号証特開昭52-155221号公報は、昭和52年12月23日に日本国内において頒布された刊行物であると認められる。
甲第3号証には、「繊維状重合体結晶の連続製造方法及びその装置」に関し、第1~3図とともに以下の事項が記載されている。
(イ)「線状ポリエチレンをp-キシレンに溶解して0.5%溶液を調製した。このポリエチレン(商品名、ホスタレンGUR)の特性は、次の通りであった。135℃でデカリン中の固有粘度:15dl/g(浸透法による)数平均分子量10×10,000、重量平均分子量1.5×1,000,000…(略)…。第1図に示した装置を使用して…(略)…フィラメント9をリール10に巻取った。」(第4~5頁実施例Ⅰ参照)。
(ロ)「実施例Ⅰに記載した方法で、p-キシレン中ホスタレンGURの1%溶液から119.5℃でフィラメントを製造した。ヤング率は、1.02×1.000Kg/mm2、引張強さは、295Kg/mm2そして破断伸びは、わずか3.6%であった。」(第6頁実施例Ⅴ)。
ここで、1kg/cm2=98066.5Pa、1GPa=1×109Paであるから、ヤング率1.02×1.000Kg/mm2は約100.0GPaの本件発明でいう弾性率に相当し、引張強さ295Kg/mmは約2.89GPaの引張強度に相当する。
そして、甲第5号証「Journal of Polymer Sc-ience:Polymer Symposium 59、55-86頁(1977)」には、本件特許発明の発明者と認められる「アルバータス ヨハネス ペニングス」の論文「Bundle-Like Nucleation and Longitudinal Growth of Fivrillar Polymer Crystals from Flowing Solutions」において、図12とともに、表面成長法によるポリエチレンフィラメントの製造方法において、「表面に吸着された層によって固定された絡み合った網状物が、非常に効率的に延伸されるであろう。」とし(73頁第20~21行、訳文2頁第21~22行参照)、請求人が参考資料4として提出した「Journal of Polymer Science:Polymer Physics Edition」 Volume 20、1982には、本件特許発明の発明者と認められる「ポール スミス」、「ピーター ヤン レムストラ」らの論文「Tensile Strength of Highly Oriented Polyethylen.II. Effect of Molecular Weigt Distribution」において、「表面成長法は、…延伸を必然的に伴う」とし(2235頁第7~10行参照)、溶液紡糸/湿潤延伸および溶液紡糸/乾燥延伸した場合と引張強度とヤング率の関係が同一の曲線上にあることを明らかにしている。
これらを考慮すると、甲第3号証におけるフィラメントは延伸フィラメントであると認められる。
そうすると、甲第3号証には、重量平均分子量150万のポリエチレンを用いて、引張強度約2.89GPa及び弾性率約100.0GPaのポリエチレン延伸フィラメントを得ることが開示されているものと認められる。
2.本件特許発明と引用発明との対比
本件特許発明と甲第4号証に開示された発明を対比すると、両者は、「濃度1~30重量%の範囲内のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸することにより得られるポリエチレン延伸フィラメント」である点で一致する。
一方、甲第4号証には、本件特許発明の構成の一部である次の点の明示がないことにおいて相違するものと認める。
(イ)重量平均分子量60万以上の原料ポリエチレンを用いる点
(ロ)引張強度が少なくとも1.32GPa、弾性率が少なくとも2.39GPaの物性を有するポリエチレン延伸フィラメントである点
3.進歩性の判断
そこでそれら相違点について検討する。
(1)甲第2号証には、「分子量75万以上のポリェチレンの溶液を紡糸口金から冷空気中に押出してゲルフィラメントを形成して、巻き取って、このゲルフィラメントを通常の技術で延伸し、仕上げること」が開示されてされているから、本件特許発明でいう重量平均分子量60万以上のポリエチレンは、ポリエチレン延伸フィラメント(ゲルフィラメントを経て得られるポリエチレン延伸フィラメントを含む)の原料ポリマーとして、本件特許の優先権主張日以前に公知であったと認められる。
(2)一方、甲第4号証に記載された発明は、
「低圧法による高分子量の脂肪族ポリオレフィンの細いフィラメントの製造法」であって、実施例1、2、4には分子量15万のポリエチレンが、また実施例3には分子量50万のポリエチレンが実施例として示されているが、それ以上の高分子量のポリエチレンをとくに排除している訳ではない。
また、甲第2号証には分子量75万以上の原料ポリエチレンが記載され、甲第3号証には重量平均分子量150万の原料ポリエチレンを用いることが記載されているように、分子量60万以上の原料ポリエチレンが格別なものではない点をも考慮すると、甲第4号証に記載された製造方法において、高分子量の脂肪族ポリオレフィンとして分子量60万以上のポリエチレンを使用すること自体は当業者が適宜採択できることにすぎない。
(3)次に、引張強度および弾性率については、甲第4号証に例示されたポリエチレンの引張強度は1.2GPaであって本件特許発明の1.32GPaを若干下回るものであるが、より高分子量の原料ポリエチレンを使用するかより高倍率の延伸をすることによって容易に達成可能な範囲であり、また、甲第3号証には本件特許発明の引張強度および弾性率をはるかに上回る引張強度約2.89GPa及び弾性率約100.0GPaのポリエチレン延伸フィラメントが開示されていることを考慮すれば、甲第4号証におけるポリエチレン延伸フィラメントを本件特許発明の引張強度および弾性率の範囲とすることも当業者ならば容易に想到し得た事項にすぎず、この試みを妨げる理由・証拠はない。
(4)そうすると、前記(イ)、(ロ)の相違点は格別なこととはいえず、「濃度1~30重量%の、重量平均分子量60万以上のポリエチレンの溶液を紡糸して溶液状態のフィラメントを得、該溶液フィラメントを冷却することによってゲルフィラメントとし、得られたゲルフィラメントを延伸比が少なくとも11以上において延伸することにより少なくとも1.32GPaの引張強度と、少なくとも2.39GPaの弾性率を有するポリエチレン延伸フィラメント」を得ることは、技術常識(参考資料7-1~9)を考慮すれば、甲第4号証、甲第2号証、甲第3号証に各々記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとするのが相当であって、本件特許発明は、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものである。
よって、請求入の主張した無効理由2の(3)は理由がある。
4.被請求人の反論に対して
(1)被請求人は、甲第4号証に関し、それと対応関係にあるという米国特許第3、048、465号明細書(乙第5号証)を提出し、甲第4号証の実施例4には、「延伸倍率はもとの長さを基準として記載されていたとするのが相当である」と主張する(平成5年3月2日付け第2回答弁書第5頁第17行~第6頁第15行、同年3月22日付け口頭審理陳述要領書第5頁第2~17行、同年7月5日付け審判事件回答書第7頁第7~第10頁第2行)。
しかしながら、引用例の記載事項の認定にあたっては、引用例中の一部文言にとらわれることなく、技術常識をも参酌して、全体として当業者が実際上どのような技術的事項が開示されていると了知するかを認定すべきものである[東京高裁昭和56年行ケ93昭和57年11月29日(審決取消集昭和57年747頁)、東京高裁昭和45年行ケ21昭和48年4月27日(審決取消集昭和48年377頁)参照]。 被請求人は、実施例4の延伸倍率が実施例2のものと同じ約9倍であるにもかかわらず両者のフィラメント強度、伸び、繊度が何故異なるかについて、平成5年7月5日付け審判事件回答書において、「…一般に延伸比を大きくすると細い繊維がえられる傾向はあり得るが、それだからといって同実施例におけるトータル延伸倍率が21.6倍だったとすることは到底できない。甲第4号証の記載が不備でその合理的解釈ができない結果になるとしても、それは被請求人の責任ではない。」として、フィラメント強度、伸び、繊度が異なる理由について何ら説明せず、その後の提出に係る平成5年8月2日付け上申書においても、紡糸口金の孔数の相違を指摘するにすぎず、フィラメント強度及び伸びが異なる理由についての納得できる説明がなされていない(平成5年8月2日付け上申書第5頁第6行~第6頁第6行)。
被請求人の主張は、前記鑑定意見や技術常識に反するものであって、合理的根拠に欠けるものであるから、採用することができない。
(2)被請求人は、甲第2号証には、単相からなる紡出糸でなく、相分離してポリマー相と溶媒相を構成するものを得る技術が開示されており、超多量のフィラーが配合されており、したがってゲル紡糸は記載されていない旨主張する(平成5年3月2日付け第2回答弁書第3頁第3~14行、同年3月22日付け口頭審理陳述要領書第4頁第13~18行、同年8月2日付け上申書第4頁第16行~第5頁第5行)。
しかしながら、甲第2号証は、「重合体は溶液から「凝固」して繊維相に濃縮する」(第2頁第56~59行)、「溶媒として用いられるノンポリマー化合物又は化合物の混合物は、室温において液体又は固体のどちらでもよい」(第2頁第67~69行)等としており、ゲル紡糸が開示されているというべきである。なお、フィラーは必要に応じて配合されるにすぎない。
(3)被請求人は、甲第3号証には、紡糸延伸されたフィラメントは記載されていない旨主張する(平成5年3月2日付け第2回答弁書第3頁第15行~第4頁第19行、同年3月22日付け口頭審理陳述要領書第4頁第13~18行、同年7月5日付け審判回答書第6頁第10行~第7頁第1行、同年8月2日付け上申書第6頁第7行~第7頁第6行)。
しかしながら、甲第3号証に示される表面成長法も紡糸方法の一形態であって製造されるものがフィラメントであることに変わりはなく、前記参考資料4からみて、そのフィラメントは延伸フィラメントであるといい得る。なお、結晶成長法で成長した繊維は通常延伸して用いられるものである(功刀利夫/太田利彦/矢吹和之著「高分子新素材One Point-9高強度・高弾性率繊維」1988年5月20日、共立出版株式会社発行、第25頁第6~9頁参照)。
また被請求人は、甲第3号証に関連し、「同号証の技術は“表面成長法”として知られる古典的なものであるが、これを本発明の“ゲル紡糸法”と混同してはならない。この間の関係を説明した総説を添付する(乙第10号証)。」(平成5年7月5日付け審判回答書第6頁第19行~第7頁第1行)としているが、乙第10号証でいう「新しいゲル紡糸法」とは、例えば分子量1,000,000以上の超高分子量ポリエチレンを使用し、200倍以上の高倍率に延伸することによって、200GPaを超えるヤング率が得られるもの(第44頁左欄下から第3行~同右欄第26行参照)であり、このものと、重量平均分子量が60万、延伸比が11、引張強度が1.32GPa、弾性率が2.39GPaであってもよい本件特許発明とを同一視することは適当でない。
[4]次に、無効理由1の1および無効理由1の2の、本件特許発明が特許法第29条第1項第3号の規定に該当するという主張は、本件特許の出願日の遡及がないことを前提としたものであると認められるが、本件特許の出願日が遡及する(昭和55年2月7日、優先権主張日1979年2月8日)としても、また、遡及しない(昭和59年8月10日)としても、本件特許発明は、前掲のとおり、それらのいずれの時点よりも以前の公知事実から進歩性がないものである。
さらに、無効理由3(明細書の記載要件の不備)は、特許請求の範囲中の「得られうる」という文言について、請求人の提出した参考資料10および参考資料11によれば、請求人は、特許権侵害禁止等請求訴訟事件ほかにおいて、「「得られうる」とあるのは、右の西ドイツ国における対応特許の場合と同様に、その発明は現実に該特定の方法によって得られたポリエチレン延伸フィラメントに限定されず、それと同等のポリエチレン延伸フィラメントでさえあれば、製法の如何と関係なく特許請求の範囲に記載の発明に包含されるとの趣旨に他ならない。従って、乙発明の対象は、「少なくとも1.32GPaの引張強度と、少なくとも23.9GPaの弾性率を有するポリエチレン延伸フィラメント」である。」とし、また、当審における平成5年4月27日期日の口頭審理における求釈明に対する平成5年7月5日付け審判事件回答書において、「本件特許発明の構成要件Aの末尾に記載されている「得られうる」は、文字通り特定操作によって「得られうる」ことを規定しており、換言すれば得ることのできない態様を排除している。」(第5頁3~6行)と主張するが、本件特許発明の技術的課題、製法以外の構成に新規性が認められない点、さらに審査経過などを併せ考慮すると、本件特許発明は、実質的に「当該製法で得られた物」と解釈すべき余地があり、その点で請求人のいう「異なる解釈」を生ぜしめる余地が残されている。
なお、付言すると、被請求人が前掲平成5年7月5日付け審判事件回答書中で引用した、平成3年(行ケ)第164号判決は、「もとより、方法的記載が物品の形態を特定することに結びつかないときは、考案の要旨となりうるものではなく、登録要件の検討に際してもこれらの記載を除外して判断すべきことは当然である。」(第33頁9行~12行)、「もっとも、D及びEの構成要件には経時的要素を有する事項が含まれていると判断すべき余地が残されており、この観点からD及びEの構成要件を本件考案の要旨から除外すべき可能性も完全に排除されているわけではないが、…」(第33頁5~9行)としており、方法的記載が物品の形態を特定することに結びつかないときは実用新案法第5条第4項(特許法第36条第4項)の要件を満足せず、物品の構成要件に経時的要素が含まれているときは要旨から除外されると説示しているのであって、無条件に、方法的記載も考案の要旨となりうるとしているのではない。
しかし、前掲[3]に示したとおり、本件特許発明は特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものであり、この点で本件特許は特許法第123条第1項の規定により無効とすべきであるから、その他の無効理由についてこれ以上の検討を行う必要を認めない。
[5]以上のとおり、本件特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してなされたものであり、同法第123条第1項第1号に該当する。
よって、結論のとおり審決する。
平成5年9月10日
審判長 特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
請求人 被請求人 のため出訴期間として90日を附加する。